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スタッフ日記

湿気たせんべいの効用

 家の菓子置き場に、購入したまま忘れていたせんべい数袋を発見。
「行けるか?」と思いつつひと齧りしてみたのだが、湿気ているようで「パリッ!」という歯切れの良い音が聞こえて来ない。劇的に腹が減っているわけではないので、このまま食べ続けるのも嫌だと重い袋を閉じてクリップで留めてみたが、そもそも湿気ているものなので、そのままおいて置いても不味くなるばかり。捨ててしまおうかとゴミ箱へ目をやったが、食べることができる物を捨ててしまうのも気が引け、考えた末、湿気たせんべいを持って近所の池へ出向いた。


 家から自転車で走ること10分。平城宮跡の真ん中辺りにあるその池には以前一度だけ訪れたことがあった。ダウンジャケットを着ていたことと道々にどんぐりが落ちていたのを覚えている。ゆえに季節は冬だったと思う。
初めて通りがかったその池を覗き込むと黒い水面下、うにうにと動く奇妙な曲線が見られた。何があるのかわからず、自転車を止めしばらくの間眺めていた。正体はすぐに知れた。何のことはない、黒い鱗を纏った大きな鯉が大量にいただけのことだった。腹を空かせているようで私を認めるや否や餌を貰えるかも知れぬ期待に駆られてか鯉たちは我先に水面を踊り始めた。その時は何も持っていなかったので、「ごめんな、何も持ってないんだわ」と鯉たちに話しかけてみたがもちろん誰も聞いていない。目の前の鯉たちはひたすら存在をアピールして餌をねだって来た。
 苦肉の策。辺りに散乱しているどんぐりをふたつみっつ拾って池へ投げてみた。すると、さきほどまで揺れていた水面がさらに激しく波打ち、どこかの国の暴動か?と思うほど鯉たちは重なり合って騒ぎ始めた。
 こうなっては致し方ない。武士の情け。そんなことを思いながら近くの神社の入り口へ移動して其処此処に落ちているどんぐりを拾い集め池まで戻って撒き餌よろしく空に向かって放り投げた。
 狂喜乱舞。そんな言葉が過ぎるほど池の水面は鯉の踊りで盛り上がっていた。


 うねるように踊り続ける夥しい鯉を思い出し湿気たせんべい片手に池に出向いたものの、覗き込んだ水面下に存在は感じられず、「なんだせっかく来たのに湿気てんなあ」と思いながら湿気たせんべいを取り出し力任せに細かく砕いて叩き付けるように池に投げ込んだ。

ドドドドドドドー。

どこに隠れていたのか以前よりも数も勢いも増した鯉たちが忙しく口を開け閉めしながら顔を出した。さらには。鯉に負けぬほど大きな亀があちらこちら顔を出した。やんちゃな奴に至ってはいち早く餌を手に入れようと池の淵を這い登っては落ち、這い登っては落ちを繰り返していた。
  

 せんべいは一瞬にして池の輩の口の中に吸い込まれ消えていった。未だ収まらぬ池の騒動を呆然と眺めつつ、捨てる運命にあったものを活かした気になれないのはどうしてだろうと未だ収まらぬ鯉と亀の欲望むき出しの姿を眼下にしばらくの間考えていた。

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